記号的生産の身体
個々人の身体的な不調や凹凸は、実際のところ企業は興味がない。
なぜなら企業にとっては従業員の身体など交換可能で計量可能なオブジェクトに過ぎないからだ。
例えば持病やハンデがある人に企業は成長して欲しいから持病があっても乗り越えて夜勤のある現場に配属したのではなく、
単純に統計上の労働者数と不足人数の兼ね合いで自動的に決まっただけに過ぎない。
健康診断も国が義務付けているが、それは労災が起きたら国が負担しないといけないということもあって無駄な経費の削減のための措置であり、労働者の健康を考えてるという意見は楽観論という見方もできる。
社会にとって市井の人間は交換可能で計量可能な盤上の駒以上でも以下でもない。個別の痛みさえもノイズとして資本主義の過剰な成長主義とダーウィニズムにより飲み込まれ、淘汰されていく。
記号的生産においては人間は本来的創造など二の次となり、社会の発展と経済成長がプライオリティとなる。
上層部たちにとっては本社業務こそが権威ある業務であり、新卒の人間がいきなり本社からキャリアをスタートするというのは権威と地位の保存の論理にとってはあってはならないことである。
ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』では格差や貧富の差はシステムにとっては必要なことであると記述され、なぜなら私なりの例だが新卒の人間を最初は現場に送り込むことで、
現場の苦労を味わせ、本社という権威に対して一層の憧憬の念を喚起させ、成果を上げて本社に行こうとする際の動力をそのまま会社の成長に繋げようとさせるからである。
みんなが成長できる場所を選んだというのはあながち間違いではない。
ただその手段が狡猾なだけだ。早く本社に行きたいという気持ちを焚き付けさせることで成長できるというカラクリだ。
現に新卒のいろんな人に聞いても、早く本社に行きたいという人がほとんどだった。
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