#08「休日の8時間という出勤日」――なぜタイパを信奉する現代人は、セネカの閑暇を失って墓石に存在の事実だけを刻むのか?

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

時間の植民地化

セネカは閑暇の肝要さを説いた。

しかしセネカが現代人を見たら怒りをあらわにするだろう。

なぜなら閑暇の時間すらも記号的生産の植民地となってしまったからだ。

現代はタイパコスパが自己啓発本で広く喧伝されており、自分の閑暇すらも時間というスケールで計量して、交換可能性の陳腐化のどん底にいる。

これでは過去の賢者に本を通して会いに行く時間など到底ないだろう。

仕事の効率化の自己啓発本や、資産運用の方法を考えるだけで閑暇は炭となって土に還る。

つまりこれはバタイユのいう限定経済の保存の論理に過ぎない。

次の仕事をより良くするために休日を使ってしまうことなど、もはやその休日も実質的な出勤日と成り果てており、過剰な生命力を蓄積するものとなる。

それを繰り返せば人生はあっという間に過ぎ去っていく。

保存の論理ばかり考えて、資産の蓄積一辺倒になることは、船着場で錨を下ろして嵐に耐えながらも少しも航路を進んでない、ただ長く生きたのではなく、

長くそこに存在したという事実だけが虚しく墓石に刻まれる人生となる。このように私たちの閑暇ですらも記号的生産の植民地と成り果ててしまったのだ。

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