自己紹介とACEPHALEリリースに至った経緯

アプリ開発関連

2026.05.21

計量・交換・保存・予測可能な世界に、人間の真実はない。これは、数字と承認欲求にまみれた資本主義的SNSから脱走し、n=1の純粋贈与を取り戻すための実験場『ACEPHALE』のマニフェストである。

初めまして、ACEPHALE設計者、アビスの案内人(non-savoir・夜一)です。

僕は小学生の頃から本に縋り付いていて、ひたすら今の状況を打破するための知識を貪るように、舐めるように読んでいた。人の心がわからなくて中学の頃に心理学を学んでみたけど、そんな机の上の話で、文字と言葉で片付けられるほど人間の心は単純じゃないっていうことを参与観察でわかったのが高校生。大学生になって僕が家に居場所がなかったからこそ居場所を作りたいと思ってそれを運営するスキルを学ぶために大学は経営学部に進んだ。でもそこで起業のスキルを学べると思ったらただの就職予備校だった。そこで紆余曲折を経て高校の頃にやってた音楽を大学でそのまま続けてアーティスト(ボカロP)になろうと思ってた。けど不特定多数の人間に聞かれるよりも、スタジオでその人を想って作った三曲を披露して歌った時に受けた一つの拍手の音を聞いて僕は今までやってたことはなんだったって思った。これは後ほど詳しく話す。そこからこの感動、相互承認の連鎖と贈与が生まれる場を作りたいと思って設計思想を1か月かけて作って暫定的な解としてのACEPHALEができた。

n=1の贈与

その人とは音楽教室で出会った。僕たちを繋いだときは一つの偶然だった。その人が忘れ物をしたことに気づいて走って取りに行った。そこから始まって仲良くなった。そして一緒にスタジオに行こうという話になり、そこで観客一人のライブをした。僕は今まで21曲を作ってきたけど、その人に向けた曲以外は全部煙に巻いたような抽象的で婉曲的な表現を用いて歌詞を書いてた。でもその人を想えば想うほどまっすぐな言葉しか思いつかなくて、結局自分の書きたいことはこれでしかないし、書きたい人はいつもその人だし、内省的な曲が以前まではほとんどだったがウケ狙いの曲は結局抽象的で婉曲的に書いた方が解釈の余地も出るし、簡単に理解される隙を見せない方がミステリアスでかっこいい。でもやっぱ僕的にはダサい。明確な意図とメッセージがあるならいいかもしれないが虚勢を張った婉曲表現ほど虚なものはない、そんな物は誰にも響かない。そう思ってたけど、結局流行り曲っていうのは歌詞なんて見てないことを考えて語感とリズム感で組み立てたものがみんなに受け入れられてる。そんな現実を見て僕は不特定多数に向けた曲を作るのをやめた。あの人に書いた曲は、僕と本人以外誰も聞いたことがない。n=1の贈与というのはその人の本性を炙り出す、虚勢の贅肉を焼き尽くす。その瞬間に人間の真実があるんじゃないかとおもう。剥き出しの本性が美しい人ってほとんどいない、ただ大切な人の”顔”を向けられた時には汝殺すなというメッセージから残虐になることは途端に難しくなる。僕はみんなのn=1の贈与を見てみたい、ACEPHALEでそれが見れたらいい。

社会との摩擦

大学4年生で就活という洗礼と対峙する。あの人との安定した生活を実現するために、あの人の親と向ける顔を作るために就職を決めた。けど正直就職よりもまずはギャップイヤーでバイトして金稼いで大学院行ったり、何かしら別のことがしたいという気持ちが強かった。だから形だけ内定とっておこうと思って、一社しか受けずに絶対に内定取れるけどある程度規模の大きい会社と面接して案の定内定はもらった。別にどこの会社にも入りたくないからそこで内定承諾した。だがそんな簡単に内定をくれる会社はたいてい猫の手も借りたいくらいに人がいなくて激務に追われそうな会社で、そもそもそういう業界だった。それに法律違反を平気でするブラック企業だってのちに知って、やっぱりやめたいって思った時には立ったら研修費用返せって言われて。僕は当時安定した道パート2で社労士の勉強をしていて何に違反してるのかを知ってたから、労働基準監督署と弁護士の名前を出したら(無料)ビビって命乞いしてきて、それで最終的に研修費用は払わずに入社拒否は受理された。別に無理すれば働こうと想えば働けたのかもしれないし、安定っていうなら絶対そっちの方がいい。でも、僕は根本的に無の無化をモットーにしてて、常に変化し続ける実存でありたいって思ってるから、何か特定の役職についてそこでそのまま昇進し続けるって人生って、学校教育の提示するロールモデルではあるけど、根本的に僕には肌に合わない。絶望だった。正直普通の人生が送れるもんだったら送りたかった。けど僕の心が一つの型にはめることを全力で拒んだ。サルトルは存在と無の自己欺瞞の章でカフェの給仕人の例を出していた。自分はウェイトレスであるという本質に固執して、自分で自分を定義するという実存を捨ててるみたいな解釈をした。そういうものでさ、ACEPHALEを作ったり、これから発展すればいろんなやりたい事業はあるんだけど、そもそも起業なんてものは自分の足で条理空間に立ってそこから逃走線を築くこうとするノマドそのもの。そういう生き方が自分に合ってるし、基本的にそういう生き方しか向いてないと思うんだよね。博打ではあるし、うまくいかなかったらどうしようという気持ちもある。でもうまくいくかいかないか以前にやらないといけないって自分で思ってる。どれだけ言葉を綴って学会で発表しようともそれは良くて後の学者の言葉の死体標本図鑑として図書館にアーカイブされるのが関の山だろう。バタイユやドゥルーズも同じ末路を辿った。哲学界では重鎮だが、それを実学に落とし込めた人間はどれだけいるだろうか。僕の思想は触れるものにしたい。

哲学

大学では経営学部に入ったけど、なぜ哲学の本ばっかり読んでたのか。色々辛いことがあってフランクルの夜と霧とかカミュのシーシュポスの神話に触れたところから始まって、もっと言えばストア派の哲学を学んだことが端緒だった。ぶっちゃけ心理学で心が強くなるかと思ったらそんなことはなくて、哲学で心を鍛えられた。キュニコス派、ストア派、現象学派、実存主義、構造主義、ポスト構造主義とか、学習の深度の濃淡はあれど満遍なく学んできたつもり。もちろん独学で。そもそも大学で経営学とはいろんな学問を知ってないとビジネスアイデアは出ないって言ってて、その割に大学3年から文系の教養科目が取れなくなるという矛盾に満ちてて、他学部の授業の聴講もハードルが高かった。だから自分で勉強するしかなかった。それに僕は独学が得意でアプリのインフラ設計とかもそうだし、哲学、社会心理学、いろんな学問を独学で学んできた。

ACEPHALEの設計思想の要約

アセファルの設計思想は計量・交換・保存・予測を否定したn=1の贈与の実験場というテーマがある。n=1の贈与に関しては解説したから、前半部分の4要素に関してはここで語ると長くなるから次回に回す。それでACEPHALEにおいて計量を否定する要素としてはまずいいねが計量されないこと。数字ではなく投稿の千のプラトーでいうところの強度(計量不可能な熱量や意志の強さという解釈)によって評価され、それに応じた強度係数により投稿の最低生存期間が決まり、最大5日間の生存が約束される期間が終わって、ハウ(いいね)がつかないと腐敗していき、4日目には完全に投稿が消される。そうして質の高い投稿だけが深淵タブの掲示板に残るという仕様になっている。逆に言えばみんなからのハウがたくさんつけばそれに応じて生存期間が長くなるということになる。これは同時に保存も否定している仕様に作っている。自分の投稿にハウをつけることエクトピアタブは医学用語の異所性からきている。本来中心から枝分かれするツリー状の構造がSNSの基本ではあるが、そこから外れて惑星を模した球体からランダムな場所に投稿の点が召喚され、そこから類似度に合わせて線が引かれて、シナジー係数が高いと線が濃くなり、シナジー係数3になればその人との対話の場が設けられる。偶然タブは逆に言葉の類似度が低くて、その反面情動の近さが高い投稿の投稿主との対話の場を設けるという仕組みができている。偶然タブでは投稿主や投稿時間がマスキングされている。これらにより予測も否定している。交換不可能性に関してはACEPHALEを使って探してみてほしい。使っていくうちにじきにわかると思う。そして全体として一つの投稿に対しての重複したハウには累進してSNS内通貨のポトラの消費量が増えていく。自己ハウも可能だが、保存に固執する者はその分の対価を払ってもらう仕組みになっている。

結語

だがACEPHALEの欠点、いや普遍的なSNSの欠点だが、使う人が多くないとつまらない。XやInstagramのユーザーが七人だった場合を想像してほしい。つまらないだろう。だからまずは100人の主権者がいる。そこで7日間それ以上のユーザー数を維持できればベータ版を卒業して新たなステージに進むことになる。それにテスト段階で多くの投稿で満たされたエクトピアをみたが、なかなかに芸術的だった。それがモブの投稿ではなく中身の詰まった人間たちによる投稿で埋め尽くされるのは僕にとってもみんなにとっても一興の景色だろう。もし興味を持った人がいれば、深淵の扉は開かれてるということをここに宣言しておく。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

ACEPHALE — 無名の魂のための深淵と贈与。 acephale-ea24d.web.app

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