#17「他人のために頑張るほど心が壊れる人」へ――数字の奴隷から抜け出す「たった1人へのプレゼント」

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

飛翔の揚力

かくいう私も記号的生産の毒に完全に侵されていた時期が昔あった、それをきっかけに大学の専攻も決めた上で経営学を学んだ。

その時は確実に没人間であった。同時期に趣味である作曲も始めた頃だった。

その時には売れることばかり考えていて、売れる音楽を分析してひたすら流行に乗っ取った音楽を作っていた。だが正直苦しかった、全然売れなかった上に創造性のかけらもない生産的な音楽を作って自らのパトスを今日感覚的にぶつけるよりも資本主義経済をハックする冷徹なロゴスの音楽は自分の首を絞めた。

その時に出会った愛する人たった一人に向けた音楽を5曲作った。何より私がそこでの思索で救われたのだ。大きい会場でのあふれんばかりの拍手喝采よりも、小さいリハスタでのたった一人の拍手の音が私の心を浄化した。

そのことに気づいて一円の金にもならない音楽をやって、一円の金にもならない哲学を学んだことで私はようやく実人間になれた。

飛翔の揚力は記号的生産の欺瞞に気づけて、本来的創造と内的充足活動に流れていた毒の透析が完了した瞬間に得られる、この深淵の重力からの離陸である。

その瞬間は偶発的に現れるものでもあるが、その瞬間を手繰り寄せる一般化をあえてするならn=1の見返りも意味も目的も何もない贈与によって相手の心のみならず自分の心さえも記号的生産の冷たいロゴスの氷壁がパトスの煮えたぎる炎によって溶解した瞬間にやってくる。

しかしこれは人によって千差万別であり、どんな時に上向きの風がやってくるかは人それぞれである。私はこうした瞬間にやってきた。だがあなたは違うかもしれない。

それでも肝要なのが自分の心が大きく動いた瞬間、それは数量化できて交換可能かという目を向ければいい。記号的生産によって心が大きく揺さぶられ情動が喚起され、心動いた瞬間はないということが自分の中で納得がいけば、あとはその上向きの風に乗って深淵の底を蹴り上げるのみだ。

そしてシステムの喚起する恐怖や不安に対しては、とにかく疑いの目を持つしかない。

人間は認知資源という外から入ってくる情報を精査するためのリソースが足りてないと、外部からの情報に盲目的に信頼を置き従う傾向がある。そのため外から入ってくる情報に対して一度判断を停止し、立ち止まって俯瞰して見ることが肝要であろう。

全てのことに疑いをかけるデカルトの方法的懐疑を実践したら疑心暗鬼になって苦しくなるのが普通であるため、メディアからのメッセージにだけ懐疑の目を向ける程度にとどまるのが自身の精神を保つ境界線である。

メディアやSNSから一歩身を引くだけでも自分の輪郭がぼやけることなく、囚われるバイアスの数も減るだろう。空前のショート動画ブームを見るに、人間の現代の消費の方法は能動的消費よりも受動的な消費の方が強い。

そのため外部からの情報に常に身を晒すのではなく、常に世間から一歩身を引いて考えることが自らの主権を確保する上で肝心肝要になる。

恐怖や不安をメディアによって煽られるのは狡猾で極悪非道の戦術だ。大抵の人間は抗えない。だからその恐怖のメッセージを発信する媒体そのものから身を引いた方がいい。

何かあった時に逃げ遅れる可能性があるかもしれないが、その何かが起きる確率と、その確率を重視してメディアに自分の身を晒して直に影響を受けた結果、転落の重力を全身で受けるくらいなら、その何かが起きた方がまだ良い。

非現実的な破滅よりも現実的な堕落に恐怖するべきだ。

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