#18 エリクソン的児童期とオペラント調教――ゴフマンのアイデンティティ剥奪が完成させる「没人間OS」

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

第II部:裏切られた知性 — 限定経済の重力

第3章 大人とは、裏切られた青年の姿である。

これは太宰治の言葉だ。まとをいている。段階別の隷属化階層を述べたように、最初は皆赤子、または実人間であった。しかしシステムの権力は、賢者でさえも飲み込んでいく。愚かだから没人間になるわけではないのである。第二部では愚者にも賢者にも平等に降りかかる学校と社会のパノプティコンと没人間OSにアップデートされる教育、社会のベルトコンベアについて解剖していきたい。

没人間の端緒

エリクソンの発達段階の理論によれば、学校に入り始める児童期には、自分が世界の中心で自分のやりたいことをする幼児後期とは変化して、社会的に認められた目標に向かうことがわかっている。

ここの段階で定型発達のほとんどが没人間になり、これは人間の発達心理学的特性上不可避の事象となる。ここで大抵の人間の実存が死を迎えて、社会を発展させる本質としての道具の成れ果てになってしまう。

不可避である理由としては、賞罰教育と競争原理にある。これはアドラーの理論だが、賞罰教育によって褒められるために行動し、叱られないように自制するプログラムが施される。

そして学校の場合ではそれが成績という計量可能なスケールによって測られる。行動主義心理学のオペラント条件付けのように、勉強していい点数を出したら褒められるということで正の強化を、悪い点数なら叱られるという負の強化が起こり、さながらボタンを押したら餌が出るということを学んだネズミのように頑張るようになる。

しかしこれが第一部で述べた記号的生産の始まりなのだ。その点数はあなたの幸福を反映できない。それなのに盲目的に追い続ける。これは至極真っ当な反応ではある。その時はそれが自分を没人間に仕立て上げるものであるという高度な内省ができる人間などほとんどいない。

内的充足行動の植民地化に関してもこの理論で説明がつく。絵を描くのが好きで絵を描いていたら先生に褒められる。勉強が好きで勉強をしていたら先生に褒められ点数が上がり成績が上がる。こうした正の強化は元は好きだからやってたという内的動機づけから、褒められるために絵を描く、勉強をするというふうにすり替えられることで、記号的生産のシステムにとって都合のいい道具が出来上がる。

ショーペンハウアーの『幸福について』でも人を操る簡単な方法は褒めることだと述べられていた。自分で自分を認めるという誇りも、外部からの報酬によっていつしか褒められるためにという虚栄心と、負の烙印を押されないためにというスティグマを回避する心理が強く働いてしまい、最終的には記号的生産の支配下に置かれる。

そしてアドラーがもう一つあげた競争原理に関しても、運動会の徒競走や、クラスメイトと点数で競い合って、負けたら敗者の烙印が押される。親や先生の期待に応えられなかったということでスティグマを貼り付けられる。そこで人間は不安、恐怖を知る。

自分が周りの期待に応えられなかったら、周りに置いてかれたら、敗者の烙印が押されて失望される恐怖を、追いつけなかったら、そのまま成果を出せなかったら、順調なエスカレーターからドロップアウトしてしまうのではないかという不安を植え付けられる。

これが第一部で挙げた転落の重力の正体である恐怖と不安の根源となる。ここで劣等コンプレックスを植え付けられたものは概して地位や名誉といった記号を集めて、勲章のように並べて隣人と比べて相対的な差異化を繰り返す自動人形となり、終わらない相対的差異化の深淵に身を投じていき、完全なる道具と化すのだ。これらは身体の拘束によっても支えられている。

50分椅子に座らせ話を一方的に聞く受動的な学習によって勉強を強制された結果勉強が嫌いになる人は多いだろう。身動きを取れなくさせることで自由な行動を阻害し、管理可能なオブジェクトに加工する。そしてトイレに行くのにも許可を取る必要があり、発言をするのにも手を挙げて指される必要がある。全てのことをその時間においては許可制にすることで、自由な精神に規律を与え、社会の求める調和に対するノイズを極限までカットする加工をする。

制服まで着せるようになるが、これも自由な精神という調和へのノイズをカットするための加工である。ゴフマンによると身につけているものはその人のアイデンティティを形成する重要なパーツの一つであり、それを取り上げて画一的に指定することによって、アイデンティティを白紙にし、学校の教育によって社会に必要な交換可能なオブジェクトに加工するのである。こうした身体の側面からもアプローチすることで精神の自由を蝕み、一人一人の持つ物語が組織が構成するナラティブとビジョンによって吸収されて没個性化していくのである。

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