#05フォロワー数を気にした瞬間、あなたの才能は死滅する――SNSのアルゴリズムに内的充足を強奪される恐怖

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

内的充足行動

内的充足行動も私たちに幸福をもたらす生産活動である。

しかしそれすらも記号的生産によって包囲されている。

例えば個人的に描いていたペインティングが、有名な絵師への賞賛の声や数字によっていっせいを風靡されるのをSNSで見ることでじぶんもSNSにあげたはいいものの、

いいねやフォロワーは一向に増えず、モチベーションが落ちてしまい辞めてしまう人間も少なくない。

これも記号的汚染による内的充足行動の汚染の例とも言える。

内的充足行動を支えるモチベーションは内発的動機づけであり、それがいつしか周りに評価されたい、数字が欲しいという虚栄心、自己顕示欲、承認欲求と結びついてしまうことで外発的動機づけにシフトしてしまい、

周りの状況によって自分のモチベーションが左右されるため、その瞬間から内的充足活動は記号的生産へと異形化する。

世の中に出回ってるイラストや音楽もそうだが、芸術品の中に内的充足活動によって生み出されたものは存在するのだろうか。

今や芸術すらも記号的生産の植民地となりつつある。内的充足活動により作られた純粋な創作意欲の結晶は世の中に出回らない、身内の中だけで批評される、もしくはヘンリーダーガーのように死ぬまで陽の光を受けない。

そのため自分の行っていることは内的充足活動か、記号的消費かを見分ける観察力が必要である。

ここで一つ見分ける方法を置いていくことにしよう。それは誰にもいいねがもらえなくても、数字がもらえなくも、行う行動なのかどうかという視点だ。

その視線を自分の内側に向ければ、自分の行動の動機が白日の元に晒される。

コメント

タイトルとURLをコピーしました