第4章 主人間の公理
これは自分の命や家族の命を企業に預けない実人間、没人間と並ぶ第3の道である。主人間とは計量・交換・保存・予測が不可能な客体、つまりn=1の贈与と内的充足行動に志向性を持った、達成動機をこの4要素に依拠しない人間のことを指す。
計量・交換・保存・予測
これらは社会に感知されやすい要素たちである。これらの要素を満たす客体は社会に感知された途端、それらはマネタイズされ、名前、数字、ステータスがつけられ中身が詳細に分析されたのち徹底的に計量・保存がされる。そしてオブジェクトとして扱い安くなったところでマネタイズされる際につけられた値段で交換され、温かみでさえも正体が暴かれて次の挙動まで予測可能になってしまう。
これらに当てはまるものを挙げていこう。まずは高級車だ。それは高い値段という計量可能性、売り買いで消える交換可能性、ガレージに入れてメンテナンスして保存ができる保存可能性、走行距離や金属疲労によって摩耗し減価償却する予測可能性、これら全てを満たした高級車は手に入れても一時的な所有欲を満たせるかもしれないが、限界効用逓減の法則によってあっという間に満足度は無限小になる。
次は目に見えないもので本社の管理職という記号だ。これは給料という値段で計量される。より優秀な人が現れたり、世代交代によってかえが聞く交換可能性がある。従順な記号としての働いを保っていれば保存される。そしてその管理職は次期に部長や役員のような上の役職につくことが予測可能である。
その時点で本社の管理職という地位は交換可能なオブジェクトとしてその地位を守るために馬車馬のように働く羽目になる。そこに仕事への情熱というパトスはなくなり、権威を守るという冷徹なロゴスが抜け殻のように残る。
では逆に4要素を満たすのが不可能な客体とはなんだろうか。まず先に思い浮かぶのが愛である。愛というのはなんらかのスケールで軽量化するのは不可能である。逆に相手を年収や資産というスケールではかった瞬間に相手はATMに成り果てて幸福は破綻する。そして交換可能性に関しても絶対に特定の相手ではないといけないという代替不可能性がある。
誰でもいいという状態は年下で年収一千万以上といった条件で相手を選んだ場合はその条件を満たしていれば誰でもいいということであるため、交換可能性があるということになる。交換不可能な愛は優しくて向上心があるといった条件があってもなくてもその相手でないといけないという状態のことである。
そして愛においての保存可能性はそこで交わした会話や重ねた手の温度、共に過ごした時間の全てはその場限りのもので、2度と同じ時間を過ごすことができないという尊さと儚さがある。これはお互いが人間である以上は常に変化し続ける予測不可能性の実存であるということに起因する。そして会話のすべてのログを残したり、皮膚の表面温度をサーモグラフィーで測ってない限りはそれらの記憶は忘却の彼方へ送られるという意味でも保存不可能である。
そして先述の通り二人は常に変化し続ける人間という個体であるため、今日の二人と明日の二人はもはや別人と考えても言い過ぎではないというように、変化し続ける分、二人の関係性も変化し、どこに向かうかもわからないという点が予測不可能な点である。この愛の例えは友情にも置き換えて考えることもできる。
そして実はこれは仕事で応用が可能なのである。給料という計量可能性は消えない上に、替えが効く人材というのが変わらないにしても、システムへの貢献ではなくあくまでも自分が楽しむためにこの仕事をいかに早く終わらせるかというゲーミフィケーションの考えを仕事の中に取り入れて、いつもと違うやり方で取り組んでみることで、失敗した際の自分の地位は多少は揺らぐかもしれないが保存と予測の軸を崩すことで、システムに感知されない部分を増やし、仕事に遊びを取り入れることができる。いつでもやめれるように別の収入源を作っておくことは、その組織において保存されることへの執着を捨てることができるため、四つの要素の保存という軸も崩すことができる。
第一部1章の幸福の否定神学でも語ったが、社会に検知される幸福は幸福ではないという言葉に解釈を加えると、システムに感知されない部分を少しでも増やすことで僕たちは生活の中に遊びを加えることができ、そこに幸福の余地を作り出すことができるのである。
実人間はこの技術の玄人だ。記号的生産に魂を売りながらも本来的創造にリソースを割く余力をどうやって実人間が残しているかというと、仕事を淡々とこなすシステムの従者として埋没して思考停止する没人間のやり方ではなく、仕事の中に先述の遊びを加えることで自分の自由意志やパトスを社会に検知されない匙加減で加えて、常に能動的思考をアクティブにしているのだ。
一見すると思考停止してシステムに埋没した方が思考リソースが割かれないと考えるかもしれないが、実際は没人間も元々自由な実存だった赤子の頃のパトスが心のどこかで不完全燃焼を起こしているのだ。悶々と解決されないパトスを横目に思考停止して仕事をするのは火事になった家の中でも勉強を続けるようなものだ。思考リソースの消費は激しい故に、帰ってからSNSを眺めるという冷却作業が必要になる。
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