#09ソシュール言語論による考察・実存の安売り――求人票の情緒的シニフィアンが隠蔽する「資本の搾取アルゴリズム」

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

言語の植民地化

やりがい・アットホームな職場・感謝が報酬、記号的生産による汚染は言語の領域にまで侵食し始めている。

言語は思考のメディウムであり、言語があって思考があるといっても過言ではない。

世界があるから言語があるのではなく、言語があるから世界があり、言語によって世界を切り分けているとソシュールの没後に出された講義録『一般言語学講義』でも述べられていた。

システムは言語さえも植民地支配をすることによって、市井の人間、特に労働者の思考を支配する戦略をとっている。

先ほどあげた三つのよく使われる言葉を解剖しよう。やりがいという言葉の背景にあるのは、やりがいという体のいい言葉をあげないとみんなのモチベーションを維持できないような職業によく使われる言葉である。この言葉を使う職業は概して体力や精神力の消耗が激しい職が多い。

アットホームな職場というのは、個人のプライベートの境界線を易々と侵犯してくる上に、集団凝集性が高い職場は概して排他的で閉鎖的であり、

風紀を乱すものや反乱分子は即座に爪弾きにされる傾向が強い。そうした職場であるということを如実に表している上に、それくらいしか売りがないということも示唆している。

感謝が報酬というものは理想主義でロマンチシズムの抹香が漂う言葉だろう。これもやりがいという言葉の近縁種で、給料が少ないから感謝が報酬という言葉で安価で労働者の主権を略奪する言葉である。

本来報酬となる貨幣は交換可能で計量可能だが、感謝は交換不可能で計量不可能である。

それらを強引に結びつけることで感謝でさえも、記号的生産の支配下においているのだ。

世界の開拓時代での植民地支配は暴力と権力だったが、現代の植民地支配はより狡猾で陰湿であることがここからわかるであろう。

綺麗事には疑いの目をかけた方がいい、べきではなくであるを語れ、理想ではなく現実を語れ、シミュラークルやプロパガンダに対抗し、血の通った論理を見分ける鉄則である。

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