#11「幸福の否定神学」――社会が検知できる幸福をすべて否定した先に残るもの

哲学コラム連載『存在論的コンフリクトの発散』システムと個人はどう折り合いをつけるのか〜

幸福の否定神学

これらで挙げた通り記号的生産が跳梁跋扈している植民地では基本的には人間は幸福にはなれない。

そこには勝者と敗者が存在する。敗者は勝者の背中を追いかけて、勝者は敗者に置いていかれないように走り続けることで、モルモットの回し車を回し続ける動力となって発電して、文明を発展させてきた。

終わりなき過剰な記号的生産を続ける世界では本来的創造さえも徐々に蝕んで最終的に腐敗させていく。

しかし文明の発展は人間をどこまで幸せにしてきたのだろうか。もちろん病気も治りやすくなった、幼児の死亡率も減った、寿命も伸びた、それは評価できる。

だがその影として国家によって数値により支配されて交換可能なオブジェクトとしての人間の開発が急速に進んでいき、それは労働者の余暇や健康な身体、自由な人間関係にさえ干渉している。文明の発展の功罪を俯瞰してみることで見えてきたことがあるだろう。

社会によって検知可能な幸福は幸福ではないということだ。私たちは性善説神話で塗り固められた現代社会の建前というベールをむしり取って現実を見ないといけない。

それが理想ではなく現実を語れ、べきではなくであるを語れという言葉の本懐である。そうした不条理を明哲な観察力で眼差しを向けることによって、私たちは記号的世界からの脱獄の鍵を手に入れる異邦人となるのだ。

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