-失楽園-
「皆さんが成長できる場所をみんなで話し合って決めました」
配属先通知式でもお偉いさんの言葉。耳障りは良い、自分たちのことを考えて配属先を選んでくれたんだと思えば、それで幸せだっただろう。
しかしどうしてもその言葉を聞いた時に疑問符が拭えなかった。
果たしてあなたたちのいう成長は、僕たちを幸福にしてくれるのだろうか。
僕は欺瞞を感じざるを得なかったのだ。成長を考えたとは言っても、結局は会社が得をするように、交換可能な駒として、自分たちの都合を優先した結果がこの配属に過ぎないのではないかと感じた。
一言で言うなら納得はできなかった。吐き気がした。障害のある母の面倒を見るのが困難になる配属先だった。
人事はそれをわかってはこの配属先にしたのだ。結局はご都合主義でしかない。
しかし自分たちは使われてる側である以上は逆らうことができない。
上司の指揮命令に盲目的に従うのが部下の役目だからだ。疑いの目などかけてはならない。
そして結局は自分がそこを選んだのだ。いろんな社会的要因があって選ばざるを得なかったのが正直なところだが、この会社に入った以上は自分の選択に責任を持つことにしよう。
そこで考えた。システムの外側を生きる道も、システムの内部にいながらもエトランゼとして生きることも、はたまたシステムに完全に迎合し溶解することで適応する末人になることも。
葛藤は発散しない、頭を掻きむしって脳内の言葉を漁る。その軌跡がこの断章である。
べきではなくであるを語れ
これはマキャベリが言った言葉で、私は深く共感している。これから綴られる断章はペシミスティックでニヒルな考察に思われるかもしれない。だが社会の冷徹な解剖に性善説は必要ない。これは至極毅然としたリアリズムのテクストになる。
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