愛への隷属の本質
愛への隷属には二つの種類があり、一つは受動的で一方的な隷属、もう一つは能動的でインタラクティブな隷属である。前者は相手以外に誰もいないという交換不可能性の一点に全てをベットして、相手以外にいないからその人にかけるという消極的で受動的な隷属である。
それが自分から相手だけという一方的になった状態の隷属を私は否定する。後者の隷属は相手しかいないという状況に自らを置いて、相手以外のパートナーを性的な目で見ないという意思による意識的かつ選別的な排斥によって交換不可能な状況を作っているため、
その意識的かつ選別的な排斥をやめれば他にパートナーは見つかるという潜在的な可能性を包含しているのにも関わらず相手を自分の意思で選択したことによって、他の相手に選別的な排斥を行ったことによる積極的な交換不可能性の状況に自らを置いているという意味で能動的である。そしてそれが一方向ではなくインタラクティブに相手を選び、相手に選ばれるという状況における隷属が後者の隷属である。
n=1の他者への脆弱性の正体はお互いに強力な武器と防具を持っている他者同士が生身で向かい合っているという危うさである。武器を隠し持っていて、不意をつかれて刺されるかもしれない、そういった潜在的なリスクを包含しているのにも関わらず、手を取り合っているため危うく美しいのである。
このパワーオブバランスが崩れると対等な関係性は一気に瓦解する。相手には自分しかいないと思われると相手はその関係性にあぐらをかいたり、浮ついた気持ちになって他のところに羽を伸ばすことになるだろう。そのため実際には相手しか暫定的にいない状況でも自分には他にもいるけど、それでもあえて相手を選んでいるという虚勢を張るくらいしないと対等な関係というものはもはや世迷言だ。
緊張と弛緩、この両者の均衡をうまく取るのも必要である。4要素の理論で説明すると、相手に自分しかいないと思わせた瞬間に、その関係は保存可能になり、他にいくあてもないだろうという予測が可能になり、幸福は達成されなくなる。能動的な隷属における虚勢は4要素を崩すのに有用な戦術であり詭道である。
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