記号的生産
ではなぜ社会は過剰に発展してしまい、これからもそうなのか。
それはひとえに発展してしまった以上は元の生活水準には戻れないからである。
今となっては現代人はスマホのない時代に戻ることはできない。ではスマホがなければ生きていけないのかと言われるとそうではない。
スマホのなかった昔の社会は崩壊していたのかを考えると容易く想像できるであろう。
スマホがないと生活できないというよりも、スマホがないと生活できないように社会が過剰に進化してしまっただけに過ぎない。
こうしてスマホは社会のインフラに吸収されてしまい、なかった時代には戻れなくなってしまった。
それではこれ以上の発展をしなければ、社会の成長に割かれるリソースを教育や文化的投資に充てれば幸福になれるのではないかと言われると、それは理想的だが現実はうまくいかない。
なぜなら人間は今日より明日、豊かな暮らしがしたいと願い発展した生き物だからだ。
人間のOSには本来足るを知るなどという文字はないのだ。ブランド物などなくても生きていける。
しかし社会が広告宣伝によって過剰にブランド物を喧伝したり、富裕層が身につけたり、SNSでそれを見せびらかす承認欲求のゾンビの投稿を見ることで、購買意欲が刺激されて欲しくなる。
必要なものが元々あるから欲しくなるというニーズよりも、社会によって喚起された欲求を自らのニーズだと誤認することの方が現代では多い。
わかりやすい例として、電話もできて、メールもできて、ネットにもつながる携帯端末が欲しいと、iPhoneができる前に考えていた人がいただろうか。おそらくジョブズしかいない。
そうした社会からの過剰供給、欲求喚起によって人間は昨日よりも明日豊かになろうという気持ちになる。隣の芝生が青いことを知らなければ、自分の庭で満足するはずだ。
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